東京高等裁判所 昭和36年(う)1386号 判決
被告人 鈴木彦雄 他三名
〔抄 録〕
(控訴趣意及び答弁)
本件控訴趣意は、検察官提出の控訴趣意書記載の通りであり、これに対する弁護人の答弁は、弁護人小野謙三、同伴純名義の昭和三七年一二月一一日付答弁書及び昭和三八年一一月二二日付第二答弁書記載の通りであるので、それぞれこれを引用する。
(当裁判所の判断)
一 本件控訴趣意は、要するに、原判決が本件において被告人等が結果を予見することが客観的に不可能であつたとし、したがつて被告人等には過失がないと判断しているのに対し、本件結果の予見は客観的に可能であつたから被告人等には過失があるとし、その意味において原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるとするものであり、弁護人の答弁は、原判決の見解を支持するものに外ならないのである。よつて、以下この点について審究する。
ところで、過失犯の骨子をなす結果予見の可能性の有無を定める基準について、原判決は、「この罪となるべき事実の予見の能否は行為の当時において一般通常人が認識し得べかりし事情及び行為者が特に認識しおりたる事情を基礎とし、その基礎の上において一般通常人の注意を払いてよく罪となるべき事実を認識し得べかりしや否やによりて定まる」とする判例(昭和四年九月三日大審院判決)を引いてその見解に賛成する旨を述べているが、この点当裁判所も立場を異にするものではない。
そして、本事件発生の際の事情について、記録によれば、次のよう各状況事実が認められ、いずれも当時被告人らがその職掌上知つていたか又は少くとも一般通常人の払うべき注意を用いるならば容易に知ることができたところであつた――
一 本件弥彦神社には、例年一二月三一日夜近郷から多数の参拝者が集まり、元旦午前零時前に一回拝殿に至つて参拝した後境内又は付近で暫時休憩し午前零時過ぎに再び拝殿に至つて参拝する等午前零時を中心としその前後に参拝するいわゆる二年詣りの風習があり、同神社でも、その際の社入金が総歳入金の一割を越える例であり又地元業者の要望もあつたので、これを重要な行事として取扱い、特に参拝者の誘致に努めてきたのであるが、年ごとに参拝者の数が増加し(本件事故発生の前年度の参拝者数は一万名を突破した)、臨時列車及びバスも午前零時を中心に増発運行されていたので、同時刻ごろ、境内入口から一の鳥居、二の鳥居を経て随神門に至る延長約二五〇米の参道及び随神門内の斎庭と称する広さ六七〇余坪の拝殿前広場並びに拝殿等が多数の参拝者で最も雑踏する状況であつた。
二 右斎庭の出入口としては、その広場の東端にある随神門のほか、北側に摂末社境内を経て参道に通ずる出入口、同じく北側の奥に社務所、旧裏参道、競輪場、県道等に通ずる出入口、南側の奥に神廟所参拝道を経て参道に通ずる出入口の三個所があるけれども従来から、特に誘導しないかぎり、参拝者のほとんどが随神門の中央の出入口である幅三米一〇糎、両脇の通用口である幅各一米の個所から出入する実情にあり、しかも随神門の外側は、出入口から二米余り石畳を経て一段下りさらに二米余り石畳になつており、その先が勾配約一七度の一五段の石段(石段の幅七米七四糎、高さ二米四九糎、踏石の奥行五五糎、蹴上りの高さ一七糎)を経て幅七米三〇糎(中央三米六〇糎の部分は石畳、その両側は砂利敷)の参道に通じていたので、自然行き帰りの参拝者が随神門を通過する際その密度が一そう高まる状態にあつた。
三 近年の参拝者漸増の傾向に加えて今年は豊作に恵まれたりしたため、今回は前年より参拝者が一そう増え元旦午前零時ごろには参道、斎庭等は前回以上に雑踏することが一般に予想され、又参拝者のため予定された臨時列車到着時刻等から考えても(二三時三八分弥彦駅到着予定の列車があり、前年までの例によれば、一列車の参拝者が千人を越える場合にはそれが全部列車を降り駅構外に出るまで通常約一〇分を要し、それから神社随神門外石段下まで徒歩約二〇分を要する現状であつたので、右列車の降車客全部が参道を通り右石段下まで到達するには二〇分ないし三〇分ぐらいを要する)、午前零時後もなお引続き密集して随神門を通り斎庭内に入ろうとする参拝者が相当多数に上るであろうと容易に推測されたのであつた。
四 被告人らは、昭和三〇年一二月二日及び同月二七日の二日にわたり、同神社社務所で、今年度の二年詣りの行事につき協議の結果、前年同様参拝者誘致のため、福餠撒散(餠まき)を行うことに決めたが、前年元旦午前零時ごろ初めて右行事を実施したときは、拝殿内及びその両翼で行つたので、福餠を拾おうとして多数の参拝者がひしめき争い、そのうえ酒気を帯びてことさらに押合い余計な混雑をさせる人も混り、そのため付近は非常な混乱に陥り、拝殿階段から転落する者あるいは拝殿内に土足のまま乱入する者があり、餠まきの任に当つた職員も着衣の袖を破られるような状況であつたことにかんがみ、今回は場所を変更し、随神門両翼舎の屋根に櫓を組み、午前零時を期して前回の太鼓に代え煙火打上げを合図にこの櫓の上から拝殿前広場に紅白の餠二斗(約二千個)をまくことにしたので、餠拾いの参拝者の数も前年よりはるかに増大するものと考えられた。(前年には地元弥彦村の青年会員一〇名に依頼して拝殿前の交通整理を行わせたけれども、すでに述べたように非常な混乱をひき起こしたのであるが、今回も前年同様地元青年会員一〇名に拝殿付近の交通整理を依頼し、かつ前年度の拝殿付近の雑踏の経験に照らし、同所付近の交通整理のためスピーカー一基を設置し照明設備を多少増加しただけで、それ以外餠拾いの群集に対しても、又随神門通過の群集に対しても特段の関心を持たず、あらかじめ境内の雑踏警備に関し警察当局に積極的に要請するとかその助言を仰ぐとかの確たる行動に出ることもなかつた。)。
(以上の事実中、三の後段の点を除き、原判決もこれを明らかに認めているのである。)
このような情勢の下で前述のように元旦午前零時を期して煙火打上げを合図に随神門の両翼舎の屋上から斎庭すなわち拝殿前広場に向けて餠をまくとすれば、いきおい同所に待機していた多数の参拝者の群がこれを拾おうとして殺到し、大混乱を生ずるとともにその雑踏のため随神門の通路が事実上閉塞され、自然門外にも石段参道を通じて多数の参拝者が停滞することとなり、ひいては、間もなく餠まきが終了すればやがて秩序を失つた門内の参拝者の大衆が帰路につこうとして密集した体形のまま争つて一時に随神門を通つて石段に押出ようとし、これと反対に参拝のため石段を上り随神門から斎庭内に入ろうとする多数の参拝者とが、随神門のせまい通路及び勾配のある石段付近で衝突し、たがいにひしめき押合う混乱状態から、足場の悪さも手伝い、押されて足を奪われ折重つて転倒する者が続出し、その結果死傷者まで出るかも知れないような大事を招くおそれがあつたことは、これまた被告人らの立場において一般通常人の払うべき注意を用いれば、当然予見し得べきことであつたといわなければならない。((一)原審鑑定人戸川喜久二作成の鑑定書の記載(5)滞留現象の原因によれば、「事故を生じた滞留現象の原因は、随神門内外の群集の密度を漸増しつつ、遂に安全限界をこえたため、自然解消が不可能になつたことであるが、漸増をもたらしたそもそもの原因に次の二つの事象がある。(イ)もちまき(ロ)列車の延着。この二つの事象のうち一つが省かれたなら、この事故は起らずにすんだものである。もちまきは門内群集の密度を高め、列車延着は門外の群集密度を高めた。………随神門外に群集が滞留を生じた原因はもちろんもちまきにより門の通行が困難になつたためであるが、その滞留群集の増大は列車の延着に大きな原因がある。随神門外群集の主力は弥彦駅午後一一時三三分(午後一一時二一分の延着)着の一、九六三名で、他にバス客、潜在群集が加つたものと思う。これら群集は、門外の踊場、階段、参道を埋めたが、時間の経過とともに階段下に集結した。………花火打上げ当時には既に毎平方米一〇人の密度をこえていた。斎庭内群集の流出に対し厚い壁となつてその前進をはばみ事故の原因となつた。事故の発生時間には弥彦駅着午後一一時五八分(午後一一時三八分の延着)着の一、八二六名の群集先頭部は到着しており、漸次参着増加し階段下群集の外周壁となつた。午後一二時以前に斎庭内にこれら大群集が参着していたら事故は起きなかつた。」とあり、原判決は、これをもつて本件事故の実態を証明し得て遺憾がないとしているのであつて、それによれば、あたかも列車の延着という予見不能の事象が本件事故発生の原因をなしたかのように見えるのであるが、前に述べた事情三の後段で示したように、定時二三時三八分弥彦到着予定の列車のあることはあらかじめ知られていたのであつて、それは、前記鑑定書において随神門外滞留群集の主力をなしたと認めている弥彦駅延着午後一一時三三分の列車と比較し、時差わずかに五分に過ぎず検察官が控訴趣意で述べているとおり、いわゆる滞留現象の原因という観点から見れば、両者ほとんど相違がなく、戸川鑑定人も原審で「一一時三八分に到着すべき列車が定時に到着したら当然その乗客は随神門外の滞留現象の中に入るので、結局列車が延着したことによつて門外の滞留現象に変化はないことになる」と証言している―もつともこの証言は後には多少変りあいまいになつているが―のである。弁護人は「二三時三八分着予定の列車も鉄道側において二年詣り参拝者の便宜を計り臨時にダイヤを編成したものであり、二年詣りは午前零時前に一度参拝しさらに午前零時を過ぎて再び参拝するものであるから、定時着でその乗客は午前零時までに斎庭内に入ることができるような時間を選定しなければならないのであつて、それができないようなダイヤを編成するはずがない。又その列車の降車客の心理状態を考えても急いで午前零時までに拝殿に到達しようとしたであろうことは十分推測することができる」と反論するのであるが、記録によれば、いわゆる二年詣りの本来は午前零時前に一度参拝しさらに午前零時を過ぎて再拝するものであつたことは否定しがたいけれども、今日その風習にしたがつて参拝するすべての人が必ずしもそうであるとはかぎらず、午前零時を中心としその前後に参拝するものも少くないことが認められるし、したがつて臨時列車のダイヤも必ずしも全部の列車の時間がその乗客が必ず午前零時までに参拝できるように組まれていなかつたことは、二三時五一分着予定の列車もあつた(弥彦駅長泉中蔵の証言及び同人の検察官あて回答書参照、右回答書によれば同列車には実際一三六八名が乗車していた。)ことに徴しても明らかである。又定時二三時三八分着列車から降車する参拝者が、心理的にどのように急ぐ気持があつたとしても、全部が必ず午前零時までに到着し得る客観的状況にあつたとは当時一般に認めることができなかつたことは、すでに説明したとおりである。結局列車の延着が本件事故の原因であるとの前提の下に結果の予見が不可能であつたとする所論は当らない。(二)なお記録によれば弁護人のいうように、今回二年詣りの参拝者の中には酒気を帯びていた者、竹の棒の先にするめをつけたものを所持していた元気な者等があつたことをうかがい得るし、又多数の参拝者の中には門内又はその付近でことさら多少の押合をした者もあることは当然推測できるのであるが、そのようなことは本件事故にとつて極めて影響力の薄い一因となつていたに過ぎないものと認められるから、前述の争点に関し当裁判所のした認定を左右する理由とはならない。(三)本件事故により実際に発生した死傷者は、後に当裁判所の認定するとおり、傷者は別としても、死者のみでも一二四名の多数に上つているのであり、このように多数の死者が出ようとは、もちろん何人にとつてもこれを確定的に予見することはできなかつたであろう。しかし、それに対し法律上過失致死罪の責任を問うためには、少くとも何人かの死者が発生するかも知れない、との予見が可能であれば足りると解する。そして前述のように予見し得べきことであつたとされる発生可能な群集の衝突混乱の程度、その生じ得べき場所の地形その他の状況からすれば、単に傷者を生ずるにとどまらず、死者まで出るかも知れないと予測すべきであるとするのが経験則に合致するものと考えるのである。検察官の控訴趣意中、この点に関し、「被告人らの行う餠まき行事の直接の影響下にある時と場所において群集が極度に密集し、その結果、群集中に負傷者を生ずるおそれがあるという程度の概括的予見可能で足りるとしなければならない」との意見が述べられているが、右は当裁判所としてそのままこれを採用するものではない。)
原判決は、「なるほど前年度の餠まき状況からおして、今年度の餠まきにつき餠まきに通常伴う程度の結果予想は可能であつたろう。被告人らがその程度の予想をしたこと自体はこれを認めることができる。………更に進んで餠まき開始の直前直後の状況を見ては、この餠ひろいの群集中に転倒負傷者の発生を予見できたと認めてもよいであろう。しかし、これに引続いて起つた群集行動がもたらした惨害についての予見の能否を問わずに、右の如き予見が可能であつた以上、予見義務を充足するものといい得るであろうか。………餠まき終了後の群集行動を餠まき時における群集行動と同一視して前者を後者の必然的発展なりとする検察官の見解には賛成することはできない。」としている。
しかし、記録によれば、原判決のいうように検察官が餠まき終了後の群集行動と餠まき時における群集行動とを全く同一視して前者をすべて後者の必然的発展なりとする見解の下に、餠まき時における群集行動の結果として負傷者の発生の予見が可能であつたということから、それだけで当然餠まき終了後における群集行動の結果として多数の死者を出した本件災害の発生に対する予見も可能であつたと断じたものとは解しがたい。むしろ、控訴趣意によれば、検察官は「例年より参拝客が多く、広場内群集の最も混雑すると予想される午前零時を期して随神門両翼舎上の櫓から餠をまけば、前年度餠まき時の混乱にかんがみ、広場内の群集は餠を拾うべくかなり混乱して随神門側に殺到し、餠まき直前直後の間随神門の交通が遮断されることは通常人の注意力をもつてしても明らかに予見可能である。随神門は実質上拝殿前広場への唯一の出入口になつているのであるから、二年詣りの性格及び交通機関の関係から、午前零時前後続々と参道を通つて拝殿前に向う参拝者が、この餠まき行事のため随神門付近で停止を余儀なくされ滞留を生ずることも予見可能である。一方広場内の群集中境外に出ようとする者も餠まき終了まで広場内に待機を余儀なくされる。これらの待機者と餠拾いの群集中には、餠拾いの混乱から生ずる肉体的苦痛に堪え得ない者あるいは交通機関の出発時刻の関係上早く乗車場所に赴く必要のある者が、餠まき終了後直ちに随神門から争つて出ようとすることも群集行動として当然予見可能である。したがつてこの随神門を入ろうとする群集と随神門より出ようとする群集、換言すれば進行方向が反対な二つの群集の流れは、自然に放置するかぎり、狭い随神門付近や足場の悪い石段付近で衝突交錯し、極度の密集状態を現出し、混乱を生ずることも明らかに予見可能である。」と主張しているのである。すなわちそれは、さきに当裁判所が、本事件発生の際の事情として認めたところの当時被告人らが知つていたか又は知ることができた一ないし四の状況事実の基礎の下に、随神門両翼舎の屋上から拝殿前広場に向けて餠をまく行事の実施にともなう群集の行動がもたらす混乱を契機としてやがて随神門より出ようとする群集とこれに入ろうとする群集とが随神門及び石段の付近で衝突するにいたるまで一連の群集行動がひき起こす結果に対し、いわゆる予見が可能であつたと説明したのとほとんどその趣旨を同じうするものである。(検察官は「後者すなわち餠まき終了後の群集行動たるや前者すなわち餠まき時の群集行動を原因として滞留を余儀なくされた群集が、その混乱を契機として必然的にこれに移行せざるを得なかつたものであり、前者とは場所的にも時間的にも接着した一連の群集行動であることは明白である。すなわち前者なかりせば後者は発生しなかつたのである」と述べ、その意味において「餠まき終了後の群集行動は餠まき時における群集行動の必然的結果である」とし、又「餠まき時における群集行動と餠まき終了後の群集行動とがいわゆる自然の成行として明らかに因果の系列へ整序されている場合、前者は予見可能であり、後者は予見不能であるというような予見法則はあり得ない」としているのは、その立言いささか誤解を招くきらいがないではないけれども、その言わんとするところの全体の趣旨を按ずれば、それは決して、餠まき時における群集行動と餠まき終了後における群集行動とを同一視したうえ、前述の基礎事情を抜きにして、単純に前者の結果に対する予見が可能であつたことから直ちに後者の結果に対する予見もまた可能であるとするものでないことを理解することができるのである。)
さらに原判決は、前述のようにいわゆる基礎事情の一ないし四の概略について被告人らが認識していたか少くともその認識可能であつたことを認めながら、「これらの事情は、これを個別的に観察しても何等危険の予兆を含まない。この事象を独立に分析しても危険の表象を生じない。もとよりこれらの因子と餠まき行事との相関関係において危険が生ずるのであるから、危険の予知は相当複雑な綜合判断を予想させる。綜合判断は結論が正しい場合にもとかく本質的部分と非本質部分との区別が困難である。この綜合判断が被告人らに事前に可能であつたとする検察官の論拠は………因果関係を逆推して不能を可能と強いるのではないかとの疑問を解消し得ない。」とし、「今弥彦神社において同種の条件で同様の事故が再び発生したなら関係者はことごとく非難を受けるであろう。しかし、その個人的局所的体験の結果をもつて未経験者を律することはできない。未経験者を律するためには、どうしても右の個人的局所的経験がある程度普遍化され社会の共有財産となつていなければならぬ。弥彦神社の二年詣りは従前から雑踏を続けて来たのにこの雑踏を自然解消に委ねても事故の発生はなかつた。この水準において群集災害の恐ろしさを認識し従つて又その対策を講ずることは不可能であつたというべきではあるまいか。………本事件以前に群集の雑踏により多数の死傷者を出した事件としていわゆる二重橋事件がある。当時ラジオ新聞等はこの事件を全国的に報道したのであるが、事故原因の普遍的性質は報道当時は判明していなかつたのであるから、弥彦神社類似の行事をもつ諸方の神社仏閣等の関係者にとつてこの事件が群集災害に対する警戒心を強める契機になつたとは思えない。その他同種の事件として日暮里駅陸橋墜落事件、新潟市万代橋事件、京都駅事件があるが、いずれも事態の局部的解決にとどまつているから、ひろく社寺行事主催者の警戒心を促す契機とはなつていないと考えてよいであろう。そうだとすると弥彦事件以前には群集による圧死等の事故に対する恐怖心、警戒心は未だ十分に普及していたとはいえないのではなかろうか。その理由は事故原因の一般的な共通性に対する認識が十分に開明されていないことにあると思う。(本件において、警察は上は県警本部長から下は地元派出所の巡査にいたるまで警備の要点を暴力事犯の取締、交通事故の防止に指向して群集圧死等の事故につき危惧するところがなかつた。この事実は予見能否の判断につき示唆を与えるものではあるまいか。結局警察側が予見しなかつたのは、単にその不注意の結果であるとすべきではなく、予見ができなかつたか少くとも予見が著しく困難であつたことの証左であると見るべきではあるまいか。今や弥彦神社においてそれ自体何の変哲もない地形においてそれ自体は極めて平凡な行事に関連して一二四名の圧死者を出すという大惨事を現出した。そのことが一般的警戒心を生んだ。弥彦神社以後に見られる群集事故に対する一般的警戒心のみが我々の社会が新に所有するに至つた共有財産であるというべきではあるまいか。)………本件事故につき客観的予見が可能であつたとするためには、群集災害に対する警戒心の普及とともに『徳利の口の如き出口の手前に群集を蝟集させ群集を興奮させることは群集圧死傷等の事故を誘発する虞がある』といつた程度の認識が少くともこの程度に明瞭な形で常識化していることが必要である。群集の内包する危険についての警戒心が普及し群集行動の性質についてのある程度の認識が一般化し社会通念化してこそ個々の事情をその危険との関連において意味づけ危険の有無をあらかじめ判断することができる。単に参拝者の安全保障という抽象的観点からして危険の有無の判断を導き出すことはできない。………本件において被告人らが結果を予見することは客観的に不能であつたと判断せざるを得ない。」とするのである。
しかし、もともと因果関係と予見可能の範囲とは問題を異にすることはいうまでもない。餠まきがなかつたならば、随神門内外における群集の滞留も、ひいてその後の石段付近での群集の衝突混乱も起こらなかつたであろうという意味において、前者と後者との間に因果の関係が存することは明らかであるが、前者があれば後者が起こるかも知れないとの予見の能否は、これらの因果関係の基礎の下に、餠まき及びこれに通常ともなう結果の認識のほか餠まき後に群集が一時に争つて随神門から外に押し出ようとしたこと、ならびにそのころなお参拝のため随神門から内に入ろうとする群集がつめかけていたことなど後者の発生の根拠をなす前述の諸事情に対する認識ないしその可能性を抜きにしてはこれを論ずることができない。当審がさきに本件についていわゆる予見の可能を肯定したのはその趣旨においてであり、決して原判決のいうような単なる因果関係の逆推ではない。そしてこれらの諸事情は、原判決のいうように「これを個別的に観察しても何ら危険の予兆を含まず、この事象を独立に分析しても危険の表象を生じない」としても、原判決の認めるとおり、少くとも餠まき行事にある程度の群集の雑踏、混乱の発生が通常ともなうことは、前年度の餠まき状況から推しても当然右行事の主催者たる被告人らの認識の範囲内にあつたことが明らかであるから、この程度の認識さえあれば、おのずからこれに結びつけて前述の諸事情を正しくその本質にしたがつて総合考察することができる契機が被告人らに存したと認めるのが相当であり、原判決のいわゆる「個々の事情をその危険との関連において意味づけ危険の有無をあらかじめ判断することができる」立場に被告人らは置かれていたということができると考える。あえてそのために、原判決のように、「群集災害に対する警戒心の普及とともに『徳利の口の如き出口の手前に群集を蝟集させ群集を興奮させることは群集圧死傷等の事故を誘発するおそれがある』といつた程度の認識を少くともこの程度に明瞭な形で常識化していることが必要である」などという必要は存しないというべきである。(のみならず、記録にあらわれているとおり本事件以前にもしばしば群集災害事故の発生があつたことは、新聞等の報道により周知の事実であるから、その際の群集行動の性質が結果との関係において必ずしもそれぞれ十分科学的に究明され法則化されているとはいえないにしても、少くとも、検察官の主張するように、「極度に群集を密集させると人身事故を生ずるおそれがある」という程度のこと―もちろんそれは弁護人の反論をまつまでもなく、極度に群集が密集すれば必ず人身事故が生ずるというのでもなければ又その密集だけでつねに人身事故を生ずるおそれがあるというのでもなく、そのように密集させると危険を導く他の条件が加つて人身事故を生ずる可能性があるという意味において―は、一般人の常識として公知の事実ということを妨げないであろう。同じ意味に解するかぎり、原判決のいわゆる「群集災害に対する警戒心」も普及しているといえないことはない。又原判決のいう「徳利の口の如き出口の手前に群集を蝟集させ群集を興奮させる」事態を仮定した場合、右と同様の意味において、「群集圧死傷等の事故を誘発する虞がある」ということは、常識上何人も容易に推理判断し得ることであろう。原判決は、弥彦事件以前には群集による圧死等の事故に対する恐怖心、警戒心はまだ十分に普及していたとはいえないとし、その理由として、事故原因の一般的な共通性に対する認識が十分に開明されていないことを挙げているのであるが、それならば、弥彦事件以後において始めて群集事故に対する一般的警戒心が生れたとする原判決は、今日いわゆる事故原因の一般的な共通性に対する認識が十分に開明されたというのであろうか。疑なきを得ない。新聞報道の事件は、時の経過とともに一般大衆は忘却し去るのが通常であり取締の責任者すらその記憶が薄れ行くものである、と弁護人はいう。しかし、いやしくも群集の雑踏を取締る責任の地位にある者は、公知に属する群集災害に対する警戒をつねに怠るべきでなく、忘れたからといつてそれで済ますことのできる筋合でない。原判決は、「弥彦神社の二年詣りは従前から雑踏を続けてきたのに、この雑踏を自然解消に委ねて事故の発生はなかつた。」というけれども、群集の雑踏に由来する災害の発生について心すべきは、雑踏それ自体よりむしろ雑踏の起こる状況的諸条件のいかんにある。二年詣りの雑踏は古くから続いても餠まき行事は前年始めて行われたに過ぎない。その行事も今回は前年に比し場所も異り規模もはるかに増大することが予想されていたのである。さらに原判決は、本件事故について警察側が事前に何ら危惧するところがなかつた事実をもつて結果予見の能否の判断に示唆を与えるものとしているが、前に事情を述べたように、神社側からあらかじめ境内の雑踏警備に関し警察当局に積極的に要請するとかその助言を仰ぐとかの確たる行動に出なかつたため、警察側は神社境内の雑踏警備についてはもともと関心を持たず責任を感じていなかつたと認められるし、したがつて又雑踏の起る状況的諸条件の認識も立場を異にする被告人らとはおのずから異るのであるから、所論の事実は本件の結果予見の能否の判断に参考とはなり得ない。)
なお、弁護人は、原審において被告人らはいかなる資格において過失の責を負うのかと主張しているので、この点についての当裁判所の判断を述べておく。
(一) 被告人らの地位、職務等は原判決が証拠によりこれを認定しているところであるが、右認定と弥彦神社処務規程(当庁昭和三六年押第五六九号の三)とによれば、
(1) 被告人鈴木彦雄は、宮司代務者として社務全般を統轄しており、かつ後述する苑地係を統轄する財務部長の地位にあつたものであり、
(2) 被告人高橋一栄は、庶務部長として祭事係(原判決は祭儀係と判示しており、被告人岡も祭儀係といつているが、―同被告人の昭和三一年一月六日付検察官に対する供述調書―右処務規程には祭事係とある)、賽務係等を統轄し、参拝客に対する餠まきは右規程を通読すれば、祭事係又は賽務係の所管事項となるものと考えられる。(被告人岡は、同年一月一〇日付検察官に対する供述調書において、餠まきは賽務係の所管事項であると述べており、被告人高橋吉雄は、同年一月一一日付検察官に対する供述調書において、餠まきは賽務係又は祭事係の所管事項であると述べている。)
(3) 被告人岡禎一は、右に説明した庶務部祭事係主任兼賽務係主任であり
(4) 被告人高橋吉雄は、境内の清掃及び取締に関する事項を所管事項とする財務部苑地係主任代理であり
かつ、被告人等は神社職員中の実力者として一二月二日、二七日の職員会議に出席し、本年度二年詣りの行事の施行についての種々の事項の協議に関与した者で、被告人高橋一栄、同岡、同高橋吉雄が右会議の席上の主な発言者であつたのであり、要するにいずれも本件事故の原因となつた餠まき行事の計画及び実施につき重要な役割を演じた者である。したがつて、さきに認定した事実関係から見れば、被告人らはすべて本件過失致死罪につき責任を免れ得ないことは当然である。
以上説明した通り、原判決が予見不可能を理由に被告人らに過失がないとして無罪を言渡したのは結局事実を誤認したもので、右は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、本件控訴は理由がある。よつて、刑事訴訟法第三九七条第一項により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により更に当裁判所において判決することとする。
(当裁判所の判決)
第一罪となるべき事実
一 被告人鈴木彦雄は肩書記載の弥彦村大字弥彦二八九八番地所在の弥彦神社に権宮司として勤務し、病臥中の宮司高橋章允に代り社務一切を統轄し、かつ財務部長の職を兼ねていた者、同高橋一栄は同神社に弥宜として勤務し、庶務部長として祭事及参拝者の接遇等の事務を含む庶務一切を掌理していた者、同岡禎一は同神社に権弥宜として勤務し、庶務部祭事係主任兼賽務係主任として祭事及び参拝者の接遇等の事務を担当していた者、同高橋吉雄は同神社に出仕として勤務し、財務部苑地係主任代理として神社境内の取締等の事務を担当していた者である。
二 ところで、同神社には、例年一二月三一日夜近郷から多数の参拝者が集まり、元旦午前零時前に一回拝殿に至つて参拝した後境内又は付近で暫時休憩し午前零時過ぎに再び拝殿に至つて参拝する等午前零時を中心としてその前後に参拝するいわゆる二年詣りの風習があり、同神社でもその際の社入金が総歳入金の一割を越える例であり、又地元業者の要望もあつたので、これを重要な行事として取扱い、特に参拝者の誘致をはかつて来たのであるが、年ごとに参拝者の数が増加し(本件事故発生前年度の参拝者数は一万名を突破した)臨時列車及びバスも午前零時を中心に増発運行されていたので、同時刻ごろ境内入口から一の鳥居、二の鳥居を経て随神門に至る延長約二五〇米の参道及び随神門内の斎庭と称する広さ六七〇余坪の拝殿前広場並びに拝殿等が多数の参拝者で最も雑踏する状況であつた。
三 そして、右斎庭の出入口としては、その広場の東端にある随神門のほか、北側に摂末社境内を経て参道に通ずる出入口、同じく北側の奥に社務所、旧裏参道、競輪場、県道等に通ずる出入口、南側の奥に神廟所参拝道を経て参道に通ずる出入口の三個所があるけれも、従来から、特に誘導しない限り、参拝者のほとんどが、随神門の中央の出入口である幅三米一〇糎、両脇の適用口である幅各一米の個所から出入する実情にあり、しかも随神門の外側は出入口から二米余りの石畳を経て一段下り、さらに二米余り石畳になつており、その先が勾配約一七度の一五段の石段(石段の幅七米七四糎、高さ二米四九糎、踏石の奥行五五糎、蹴上りの高さ一七糎)を経て幅七米三〇糎(中央三米六〇糎の部分は石畳、その両側は砂利敷)の参道に通じていたので、自然行き帰りの参拝者が随神門を通過する際その密度が一そう高まる状態にあつた。
四 さらに、近年の参拝者漸増の傾向に加えて今年は豊作にも恵まれたりしたため、今回は前年より参拝者が一そう増加し、元旦の午前零時ごろには参道、斎庭等は前回以上に雑踏することが一般に予想され、しかも参拝者のため予定された臨時列車到着時刻等から考えても(二三時三八分弥彦駅到着予定の列車があり、前年までの例によれば一列車の参拝客が千人を越える場合には、それが全部列車を降り駅構外に出るまで通常約一〇分を要し、かつそれから神社随神門石段下まで徒歩約二〇分を要する現状であつたので、右列車の降車客全部が参道を通り右石段下まで到着するには二〇分ないし三〇分を要する)午前零時後もなお引続き密集して随神門を通つて斎庭内に入ろうとする参拝者は相当多数に上るであろうと容易に推測されたのであつた。
五 ところが、被告人らは、昭和三〇年一二月二日及び同月二七日同神社社務所において、今年度のいわゆる二年詣りの行事につき協議の上、参拝者誘致のため同年元旦初めて実施した福餠撒散(餠まき)の行事を今回も施行することに決め、なお前回実施したときは、午前零時ごろ拝殿内及びその両翼で行つたので、福餠を拾おうとして多数の参拝者がひしめき争い、そのうえ酒気を帯びてことさらに押し合い余計な混雑をさせる人も混り、そのためその付近は非常な混乱に陥り、拝殿階段から転落する者、あるいは拝殿内に土足のまま乱入する者があり、餠まきの任に当つた職員も着衣の袖を破られるような状況であつたことにかんがみ、今回は、場所を変更し、随神門両翼舎の屋根に櫓を組み、午前零時を期して前回の太鼓に代え煙火打上げを合図にこの櫓の上から拝殿前広場に紅白の福餠二斗(約二千個)をまくことにしたので、餠拾いの参拝者の数も前年よりはるかに増大するものと思われた(前年度に地元弥彦村の青年会員一〇名に依頼して拝殿前の交通整理を行わせたけれども、すでに述べたように非常な混乱をひき起したのであるが、今回も前回同様地元青年会員一〇名に拝殿付近の交通整理を依頼し、かつ前年度の拝殿付近の雑踏の経験に照らし同所付近の交通整理のためスピーカー一基を設置し、照明設備を多少増加しただけで、それ以外に餠拾いの群集に対しても随神門通過の群集に対しても特段の関心を持たず境内雑踏警備に関して警察に積極的にこれを要請するとかその助言を仰ぐとかの確たる行動に出ることもなかつた。)
六 以上の諸状況事実は、いずれも当時被告人らとしてその職掌上知つていたか又は少くとも被告人らの立場におかれた場合一般通常人の払うべき注意を用いるならば、容易に知ることができたところであつたが、このような情勢の下で、前述のように元旦午前零時を期して煙火打上げを合図に随神門の両翼舎の屋上から斎庭すなわち拝殿前広場に向けて餠をまくとすれば、いきおい同所に待機していた多数の参拝者の群がこれを拾おうとして殺到し、大混乱を生ずるとともにその雑踏のため随神門の通路が事実上閉塞され、自然門外にも石段、参道を通じて多数の参拝者が停滞することとなり、ひいては間もなく餠まきが終了すれば、やがて秩序を失つた門内参拝者の大群は帰路につこうとして密集した状態のまま争つて一時に随神門を通つて石段に押し出ようとし、これと反対に参拝のため斎庭に入ろうとして石段を上つてくる多数の参拝者とが随神門のせまい通路及び勾配のある石段の付近で衝突し、たがいにひしめき押し合う混乱状態から、足場の悪さも手伝い、押されて足を奪われ折り重つて転倒する者が続出し、その結果死傷者まで出るかも知れないような大事を招くおそれがあつたことはこれまた被告人らの立場において一般通常人の払うべき注意を用うれば当然予見し得べきことであつた。
七 従つて、神社境内でかのような雑踏を伴う行事の計画実施に関与し、前述の地位職責を有する被告人らとしては、あらかじめ相当数の警備員を適当に配置し参拝者に一方交通をさせるなど雑踏整理に必要な方法を講ずるとともに、福餠撒散の行事実施については、前述のような危険発生のおそれがないよう、これを行う時刻、場所方法などについて慎重を期し、特に餠まき終了後参拝者を誘導し安全に分散退出させるよう周到な措置をめぐらす等危険の発生を未然に防止すべき注意義務があつたといわなければならない。
八 それにもかかわらず、被告人らは、前述のような行事にともなう群集事故の発生につき一まつの危惧の念をいだきながらも集まる参拝者の安全確保についてさして深い関心を寄せることなく、漫然福餠撒散の行事を行うことを決定し、雑踏整理、参拝者の誘導等について適切な具体的手段を講ずることもないまま、昭和三一年一月一日午前零時煙火打上げを合図に、同神社職員渡辺斧一等七名にかねて随神門両翼舎の屋根に組まれた櫓上から拝殿前広場を埋め待機していた数千人の参拝者に対し餠まきを行わせた過失により、これを拾おうとして一時に殺到した参拝者を窒息による失神者を出す程の異常な混乱に陥らせたうえ、餠まき終了と共に人波に押されて行動の自由を失つた右参拝者をそのままの状態で随神門から門外石段付近に押し出るようにさせ、折から参拝のためそこに反対方向からつめかけていた人の群と激突させ、勾配のある石段のあたりで折重つて転倒する者を続出する状態に至らせた結果、その場で負傷者は別とし起訴状添付の別表記載の通り小平トヨ等一二四名(後出証拠欄二五掲記の死者名参照)を胸部圧迫による窒息等のため死亡させたものである。
第二証拠(省略)
第三法令の適用
被告人らの判示各所為は、各刑法第二一〇条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号、第二条第一項に該当し、右は一個の行為で数個の同一罪名に触れるものであるから、刑法第五四条第一項前段第一〇条により所定罰金額の範囲内で特に事案の重大性を考え、被告人らを各罰金五万円に処し、右罰金を完納することができない場合の労役場留置の言渡につき刑法第一八条を適用し、原審及び当審の訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して主文の通り判決する。
(足立 栗本 上野)